日枝神社の御由緒
土地と住む人を守る神様
私たちが住んでいるところには、鎮守様と呼び親しまれてきた神社がおまつりされています。神社の神様は昔から、その土地に鎮座し、その土地や、そこにすむ人々を守り続けています。相之川の鎮守は、日枝神社です。日枝神社には、大山咋神(おおやまくいのかみ)がまつられています。
神社と生命力
心に迷いがあったとき、大事なお願いがあるとき、何かにチャレンジするときなどには、地元の神社にお参りをしましょう。目標に向かっての努力を怠らなければ、神様もそれを応援してくださるでしょう。そして、神様を敬う気持ちをもって手を合わせることで、生命力が湧いてくるのです。
行徳は家康公ゆかりの地
このあたりは昔から行徳とよばれていました。行徳は江戸幕府と、非常に密接なかかわりのある土地でした。徳川家康公が東金の方まで鷹狩りに行ったときに通った道が、日枝神社の近くにあり、今でも権現道(ごんげんみち)といわれて親しまれています。
家康公は、「塩は軍事物資として第一番目に重要な宝だ」として、行徳を直轄領にして、塩づくりに力を入れさせました。そして、行徳の塩を江戸へ運ぶため、運河をつくらせました。
大正時代に、津波で塩田が壊滅状態になるまで、塩づくりは行徳の重要な産業でした。
日枝神社にまつわる話
日枝神社の創建は、江戸時代の初期にあたる万治二年(一六五九年)です。ご存じのように、日枝神社は、東京都赤坂に、山王日枝神社という大きな神社があります。相之川日枝神社は、赤坂の山王日枝神社から分け御霊(わけみたま)として、大山咋神(おおやまくいのかみ)をおまつりしております。
赤坂の山王日枝神社は、江戸幕府の守り神でした。そのため、江戸幕府の直轄地であるこの地に、山王日枝神社の分け御霊である大山咋神(おおやまくいのかみ)をお祀りしたと伝えられています。
日枝神社は、全国にたくさんありますが、総本社は、比叡山にある山王総本宮日吉大社です。相之川・日枝神社の神殿は、山王総本宮日吉大社の方角を向いて建てられています。